長野県中川村村長 曽我逸郎氏

 7日、滝川市で『子どもを主人公とした卒業式・入学式づくりをめざす空知北集会』が開かれ、長野県中川村長 曽我逸郎氏の講演を聴かせていただきました。

 

 曽我村長は、1955年長崎県生まれで、京都大学卒業後、電通に入社、Iターンで中川村に移住。

 移住後数年後に市町村合併議論が起き、村の素晴しさを合併反対派と共に訴え、合併破綻直後の2005年村長選に推され初当選、現在2期目という方。

 2008年に憲法9条を守る首長の会への参加、2012年脱原発をめざす首長会議に参加されています。

 

 講演では、

・中川村は信州松本空港から1時間半

・天塩中川町と姉妹提携、美瑛町などの日本一美しい村に参加

・京大入学時はサイゴン陥落、学生運動は内ゲバなどで、学生運動には縁もなかった

・民主主義とは多様な考えを認め合うこと

・ある国会議員の後援者から電話~なぜ君が代を唄わないのか?民主主義とは多数決、選挙で多数を取った政治のプロがするもの、直接民主主義は幼稚でおろかなもの~と主張され、次の選挙で絶対に落としてやると言われ、3選目の立起を決意

・上の言うことを訊かせる、服従させようとする方たちは『分』をわきまえろと言う、国家を唄うのは世界共通の常識、君が代の君とは友達のこと、心の中でどう思ってもいいから外面だけでも唄え、などを電話で話される

・そう主張される方たちの発言を聞き、その発言の方が余程冒涜しているように思う

・自分の信条として、強制されるからイヤ、やらなければならない雰囲気をつくって従わせることがイヤ

・色んな意見が深まって共有していくこと、変わりモンの少数意見が次の時代を拓いて来た事は歴史が証明

・54基の原発のほとんどが日本海側にあり、北の脅威を考えれば考えられないこと

・ドイツで脱原発を決めたのは倫理委員会で、ウラン掘削現場、運転中、点検、整備全てで被爆者を生み、使用済み核燃料は数万年の管理で未来に負担をかけることは許されないという判断

・日本国憲法は前文で示されているとおり、もともと『理想』を求める志の高い憲法

・現実に合わないからと言うことを理由にすること自体、憲法の精神も条文も理解できていない証拠

・フランス革命が起こってから共和制となるには4~50年かかっている

・自分で考えて、自分が誇れる国をつくっていくことが求められていると考える。

 

など、日頃の村長としての立場や、自分の信条をていねいに話されました。

 

 思えば、民主党政権の間、マスコミなどによる政権批判をはじめ、地域からも自由にモノが言えたと思います。

 それが、安倍政権になった途端に、マスコミは政権へのゴマすりばかり、地域でもモノを言いづらい雰囲気を感じます。

 

 『どういうものであれ、自分の感じ方、思いを気安く表明できる空気を作っていくことが大事で、そのことによって、互いの議論が深まり、理想の日本、あるべき日本。目指すべき日本が模索され、その結果が皆に共有されていけば嬉しい』 ~との曽我村長の言葉に共感を覚えます。