最高裁は法の番人ではないのか?

 14日、国会では集団的自衛権に関する予算審査特別委員会の閉会中審査が行われていましたが、安倍総理の答弁はいつも通りの誠意のない、必要のないことを長々としゃべり、質問者が求めている内容にははぐらかしや、答弁そのものをしない姿が流されます。

 これまでの憲法解釈は一切変えていない

 とも何度も言っていること自体、言葉はどうとでも解釈できるとでもいうのだろうか?

 

 日本に対する世界からの平和に対する評価が、憲法9条の平和主義にあったことは、敢えて評価せずにいる安倍内閣の姿勢に、この内閣が憲法98条を遵守することを求めたい。

 

 そんな論戦の中、沖縄密約訴訟での最高裁判決が出されたが、その判決はあまりにもひどすぎる内容です。

 日本政府が秘密裏に廃棄した可能性が否定できない。

 だから、公開できないという裁判所の考え方、

さらに、

 行政側が存在しないと主張する文書の公開を裁判で求める際には、請求側がその存在を立証する責任がある

 との判断はあまりにも酷すぎます。

 民主主義の原理原則である情報公開が、行政側の義務にならなくなる恐れのある判決は、逆に言えば、司法の権限の放棄になりえる判決ではないでしょうか。